ハナハナ エッセイブログ

  • 元日

    ご来光を今年こそ撮りたい、と毎年言っていながら、いつも寝ているので、今度こそ本気で起きました。
    午前6時。ん?なんじゃ真っ暗ではないか。
    少し寝たらなんかカーテンの隙間が仄明るい。
    あら!いま上がってくるところではないか。

    カメラ、カメラ!慌てて準備。えーとスマホのカメラって苦手なんですよね。…なんて言っているうちに、あら、上がってしまった。撮れたかどうかわからない。

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    なんとからしいものが初めて写っていました〜〜。
    7時10分でした。日の出って遅いのね。
    水平線のむこうは千葉県の陸地が広がっています。
    ホテルからですけど、自宅仕事場からも同じ眺めです。

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    元旦のホテル朝食
    いつも食べてしまうのよね、今朝は忘れず撮りました。
    お雑煮は紅白のお餅で柔らかく美味しかった。
    とても食べきれない…はずが、まあ結構いただいいてしまいました。食いしん坊の一族。有名です。

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    温泉入って寝てばかりもね、で、初詣。
    もう近いとこにしようと決めて、一番近い伊豆山神社にしました。
    源 頼朝と妻の北条政子が祀られている小さな神社です。

    タクシー呼んでもらってね、そしたら運転手さん、よく喋る人で、「歩きだと階段800段上がるんですよ、でも車で上がっちゃいますからね」そうなんです、もう何度か来てるけどなるべく歩かないで境内まで車で行ってしまいます。

    ご利益うすいかも。(ノ>。☆)ノ鳥居まで車で潜ってしまうのです。ちなみに途中の赤い鳥居は奉納小泉今日子と文字があります。

    境内に輪のしめ飾り(っていうのかな)があり、これを潜らないといけないようです。まず、入って左にひと廻り、また潜って右に廻り、もういちど右を廻って拝殿に向かいます。
    今年は巫女さんが先導して、グループごとに周りました。

    参拝者の列がずーっと階段下まで続いて、一人ひとり廻っていてはキリがないからでしょう。

  • 赤曠木児郎先生の個展へ

    9月某日

    ウノカマキリ先生と、事務局の渡邊教子さんと、スタッフのみのりちゃんと、日本橋三越に行ってきました。

    パリ在住の画家、赤曠木児郎先生の個展の最終日です。

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    三越のうなぎ屋いずもやさんで待ち合わせ、お昼しようと思ったら、50分待ち。しかたないので並んでまちました。

    二人席しかないので、ウノ先生と私。教子さんとみのりちゃんに分かれました。

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    うなぎの形の箸置きが可愛いです。

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    食事終えて、画廊最終日なので慌てて会場に。

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    赤木先生とハグしてご挨拶。続いて奥様とも。パリの生活がもう長いので、いつもほっぺにチュッです。
    あれ!赤木先生、教子さんにもフランス式のご挨拶、ハグしてます。
    会場の絵は、先生独特の赤の線が美しく、パリの街角を描いた作品に見とれてしまうのです。
    この細い線の一本一本、どうやって引いていくのかな?
    窓やタイルの細かな線はきの遠くなるような細やかさです。
    赤木先生はフランスでは数々の賞をとっておられ、パリ画壇では著名人なのです。

    帰りにみんなで記念写真、足はウノ先生の方、頭は赤木先生の方。私はなんだか不自然なポーズになって写ってました。

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    帰りに先生から、画集5冊のセットをいただいて帰りました。

    あ〜、私もいい絵を描きたい!

    またパリに行きたくなりました。

  • 歌舞伎座昼の部

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    歌舞伎昼の部にいきました。

    夜の部はもう前に観てきています。。

    夫エイジさんは桟敷が好きで、取れる限り花道の反対側桟敷を指定します。今回は全部塞がっていて、2階の桟敷です。2階正面の向かって右角に一つ単独の桟敷があって、これは結構観やすいのです。

    そこと間違えて指定したのが、二階桟敷の一番右奥。つまり舞台のすぐ脇です。

    もう、これは横から観るしかない。

    ということで、海老蔵さんの横顔ばかり観てきました。

     

    出し物は「柳影澤蛍火」通し狂言です。

     

    海老さまは、野望と陰謀の主人公柳沢吉保です。悪役だけれど美しいし、かっこいい!

    中車(香川照之)の将軍綱吉が結構よかったです。

    もう一つの出し物は「流星」七夕、牽牛をエイジのご贔屓、猿之助さんの宙乗りです。

     

    終わって浅草駒形の泥鰌屋さんへ、柳川鍋と、鯉の洗い、泥鰌蒲焼で大満腹…過ぎました。

    どじょう

    浅草駒形どじょう

  • 「片手の郵便配達人」

    だいぶ以前のことです。

    一冊の本が送られてきました。「片手の郵便配達人」(みすず書房)です。

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    すぐにツイッターでと、文を書き始めました。

    一回の文字数制限のため、書き溜めて連続で出そうと思ったのですが、スマホを新しくして扱えず、パソコンの調子も悪く、作業が止まってしまい、ながいことそのままになりました。

     

    いま、やっぱりこれは記しておこうとおもいました。

    いえ、そうするべきだと思いました。

    そうしなければいけないと、思います。

     

    戦争をしらない若いかたたちへ。

     

    炸裂する爆弾、銃砲、流血、死、恐怖の情景です。

    今、平和しか知らない人たちの戦争のイメージとは、そういう世界ではないかと思います。

    この「片手の郵便配達人」はごく普通の人々の日常が崩壊していく悲しみを訴えています。

     

    戦時下のドイツ。負傷で左手を失った心優しい少年ヨハンは、故郷で郵便配達人となり働きます。ハンデの身に重いカバンを肩にかけ、ひたすら村々を歩き続ける毎日。

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    なだらかに広がる丘、うねうねと続く村道、点在する家々、畔道の若草のそよぎ。一面の花咲く丘。

    描写は美しい一枚の絵のようです。

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    巡り来る季節。

    自然は過酷な姿も見せます。灼熱の真夏の道。吹き荒れる風。

    凍える吹雪の中も、ヨハンは歩き続けます。

    村の人々はヨハンを見ると飛び出してきます。皆、戦線の肉親からの便りを、待ち焦がれているのです。

     

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    ヨハンは、人々の心の架け橋でもあるのです。

    しかし、時には不幸も運びます。

    「黒い手紙」と呼ばれている手紙です。

    死の通告です。

     

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    ヨハンの前でなきくずれる村人。

    できることなら握り潰したい。ヨハンは苦しみます。

    それでも残った片手でしっかりと手渡します。

     

    それは自分に託された「郵便配達人」の使命だから。

    受け取る人の絶望と悲劇。届ける者の苦悩。

     

    読み手の胸にひた寄せる悲しみの波。切り込まれる痛みのなんと深いことでしょう。

    やがて戦争終結。

    ロシア(旧ソ連軍)の軍車が地響きを立てて入ってきます。

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    逃げ出す者。死を選ぶ者。村から人々の姿が消えていきます。

    郵便局も閉鎖されます。

    いつかまた配達人になれる日がくるだろうか。

    平和を夢見てヨハンは村に残ります。

    そして衝撃的なラスト。

    声になりません。何という不条理。それが現実です。しばらくは立ち上がれずに頰を濡らしていました。

     

    戦争の主導者への反逆を声に出せば死刑です。ヨハンは声に出せず呟くのみです。言論も、思想も、個人の自由は封じられます。

    教育も変わります。学校、図書館の書棚はドイツの本だけになり、

    他国の物は姿を消します。そう、日本も似ていますね。

    暮らしの全てが統制されるのです。

     

    失って初めて、普通の暮らしがどんなに大切なものだったかを、人々は知ります。

     

    描かれる、ドイツの四季折々の花や草や樹々への、作者の眼差しは優しく、実に美しく描写されています。

    作者グードルン・パウゼヴァングは、ドイツの村々を愛し、姿の変わり行くのを悲しんだのではないでしょうか?

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    これは戦時下のドイツの物語です。ヒトラーの独裁下にあった敗戦國です。日本も同じ敗戦国です。作者は日本の人たちにも強いメッセージを送っています。

     

    私は解説を書くのではありません。

    ドイツと同じ過去を持つ日本のことも書きたいのです。

    もう、飽きました?でも、もう少しね。

     

    今、私たちの目の前にある光景が普通の暮らしですね。もしそれが全く変わってしまったら?

    不足する電力、街じゅうが暗くなります。

    コンビニもスーパーもデパートも、棚には何も並んでいない。空っぽです。おしゃれなショップから服も靴も何も姿を消し」、カラフルな色は消えていきます。

     

    グルメだの、スイーツだのなんて言っていられません、そうです

    口にするもの一切が消えてしまう。

    食べるものがない状態になります。

     

    想像できますか?

     

    S Fではありません、戦争末期の日本の現実の姿です。

     

    私の体験で悲しかったことは、思想も感性さえも封じられてしまう

    ということ。美しい抒情画が、時代に添わない、ということで、世間から消えてしまった事実。許せませんよね。

     

    ながいこと、そういう絵を知らずにいて、戦後初めて目にした時

    世の中にこんな美しいものがあったのか、と、身体に電流が走った記憶があります。

    戦争とは様々な形で物事を歪めてしまうのだと知りました。

     

    グードルン.パウゼヴァンは、後書きでとくに日本の人々に、そして戦争を知る者へ、知らない世代にそれを語り継ぐべきだ。と、強く訴えています。

    時間が経ちすぎていますが、本をお送りいただいた、みすず書房

    そして、成相雅子さま。ありがとうございました。

  • モネの睡蓮(4)

    なぜこうも惹かれるのか?絵の抱く抒情故だろうか?

    私自身、昔から抒情的なものが好きだった。

     

    戦後、上野美術館に初めて外国の名画展が開催され本物の絵画に触れた。10代のとき。(戦時下では外国の物、美術も、文学も、言葉さえ、全て封じられ、禁じられた)

     

    会場の中程で、動けなくなってしまった一枚の絵があった。

    まさに魂を吸い寄せられた、という状態だった。
    それは大きな風景画でコローという名を記憶した。
    絵のことはなにも知らなかった。ドガも、セザンヌも、ゴッホも、ルノアールも、画集なども目にさえ触れることがなかったのだ。

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    のちに、その風景画は抒情詩的な情緒性を感じさせ、印象派に影響を与えたバルビゾン派の画家。

    ジャン=パティスト・カミユ・コローと知った。

    私にとって同じく心の琴線に触れるなにか、モネも共通するところがあるのかもしれない。    (終)

  • モネの睡蓮(3)

    昨年、無理な時間を割いてまた此処を訪れたのはその永遠の静寂に身を置きたかったから。

     

    モネはこう書き遺している。

     

    「仕事に疲れきった神経は、そこで淀んだ水に佇む風景に癒されるであろう。そしてこの部屋はここで過ごす者にとって花咲く水槽の真ん中で、安らかな瞑想を行うための隠れ家となるであろう」

     

    1914年〜1918年に及んだ戦争の翌日フランスに「睡蓮」を寄贈することによって、モネはパリの人々に瞑想へと誘う安らぎの場を提供したかったのだという。

    街の喧騒との隔たりの場として此処を創りたかったようだ。

     

    やはり、そこは確かな安息の場であり、浮世から隔絶された空間なのである。

     

    機会があればまた訪れたい場ではある。    (続)

     

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  • モネの睡蓮(2)

    「睡蓮の部屋」は2室に別れ、壁面8枚、全て水と睡蓮が描かれている。

    その音なき壮大さに圧倒され、心を奪われる。巡る池の中に立ち、あるいは座し、空間に溶け込む観客たち。シンと鎮まり咳き(しわぶき)ひとつない。

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    明けやらぬ東の暗渠から西へ、黎明、陽明、夕陽、

    宵闇と、水は色を変え、おびただしい睡蓮の花を浮かべる。そこには高低や遠近はない。

     

    「水平線も、岸辺もなく、波紋によって果てしないすべての幻想」を、モネは表現したといわれる。

     

    広い室内をぐるりと取り囲んだ花々はリズムを創り、空気や空の存在を意識させ、人々は果てしない睡蓮の世界に吸い寄せられてしまう。抒情とシュール、その描き出すものは神秘の空間。無になって瞑想する時間は禅の世界と重なりはしないだろうか。 (続く)

  • モネの睡蓮(1)

    新しくできた池袋サンシャインの屋上に「モネの睡蓮の池」が造られたという。これは是非、是非、行ってみたい。

     

    そこで先月 北青山チャンネルでお喋りしそこなった「モネの睡蓮」。ブログに書くといって止まってしまっていたお話を書いてみようと思い立った。

     

    昨年暮れ、美術展出展のため、パリ行きが決まったとき、その魅力の場所に、スケジュール的にかなり無理でも行くと頑張ったのは、小橋めぐみさんの「恋読」という読書エッセイにモネのことが触れてあって、刺激されたのかもしれない。

     

    何度目だろう。訪れたお気に入りの場所、クロード・モネの館「オランジュリー美術館」。そう、初めて訪れたのは随分と昔。その鮮烈な記憶から記してみたいと思う。

     

    リュクサンブール公園を抜けると小高い森の中にこじんまりした美術館がある。

    下調べも無しに、ただあの絵の実物が観たくて立ち寄ったオランジュリー。

    初めてモネの部屋の入り口に立った時、美術書で見た一枚の絵による、私の常識的な想像は一挙にひっくり返ってしまった。

    額が無い!絵の展示の額がない!

     

    壁画だった!しかも、四面の壁はどこまでも絵であった。床も壁面も装飾なく、白っぽい長い楕円の室内は、丸ごと全部、睡蓮だった。

    一瞬、息を吸うことすら忘れていた。     (続く)

     

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  • ちばてつや先生のアニメ「風のように」

    昨日、協会事務所で、ちばてつや先生のアニメ

    「風のように」を観ました。見終わって、ずーっと余韻に浸りました。

    ちばちゃん、素敵だったよ、わ~!パチパチ