ハナハナ エッセイブログ

  • 歌舞伎座昼の部

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    歌舞伎昼の部にいきました。

    夜の部はもう前に観てきています。。

    夫エイジさんは桟敷が好きで、取れる限り花道の反対側桟敷を指定します。今回は全部塞がっていて、2階の桟敷です。2階正面の向かって右角に一つ単独の桟敷があって、これは結構観やすいのです。

    そこと間違えて指定したのが、二階桟敷の一番右奥。つまり舞台のすぐ脇です。

    もう、これは横から観るしかない。

    ということで、海老蔵さんの横顔ばかり観てきました。

     

    出し物は「柳影澤蛍火」通し狂言です。

     

    海老さまは、野望と陰謀の主人公柳沢吉保です。悪役だけれど美しいし、かっこいい!

    中車(香川照之)の将軍綱吉が結構よかったです。

    もう一つの出し物は「流星」七夕、牽牛をエイジのご贔屓、猿之助さんの宙乗りです。

     

    終わって浅草駒形の泥鰌屋さんへ、柳川鍋と、鯉の洗い、泥鰌蒲焼で大満腹…過ぎました。

    どじょう

    浅草駒形どじょう

  • 「片手の郵便配達人」

    だいぶ以前のことです。

    一冊の本が送られてきました。「片手の郵便配達人」(みすず書房)です。

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    すぐにツイッターでと、文を書き始めました。

    一回の文字数制限のため、書き溜めて連続で出そうと思ったのですが、スマホを新しくして扱えず、パソコンの調子も悪く、作業が止まってしまい、ながいことそのままになりました。

     

    いま、やっぱりこれは記しておこうとおもいました。

    いえ、そうするべきだと思いました。

    そうしなければいけないと、思います。

     

    戦争をしらない若いかたたちへ。

     

    炸裂する爆弾、銃砲、流血、死、恐怖の情景です。

    今、平和しか知らない人たちの戦争のイメージとは、そういう世界ではないかと思います。

    この「片手の郵便配達人」はごく普通の人々の日常が崩壊していく悲しみを訴えています。

     

    戦時下のドイツ。負傷で左手を失った心優しい少年ヨハンは、故郷で郵便配達人となり働きます。ハンデの身に重いカバンを肩にかけ、ひたすら村々を歩き続ける毎日。

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    なだらかに広がる丘、うねうねと続く村道、点在する家々、畔道の若草のそよぎ。一面の花咲く丘。

    描写は美しい一枚の絵のようです。

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    巡り来る季節。

    自然は過酷な姿も見せます。灼熱の真夏の道。吹き荒れる風。

    凍える吹雪の中も、ヨハンは歩き続けます。

    村の人々はヨハンを見ると飛び出してきます。皆、戦線の肉親からの便りを、待ち焦がれているのです。

     

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    ヨハンは、人々の心の架け橋でもあるのです。

    しかし、時には不幸も運びます。

    「黒い手紙」と呼ばれている手紙です。

    死の通告です。

     

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    ヨハンの前でなきくずれる村人。

    できることなら握り潰したい。ヨハンは苦しみます。

    それでも残った片手でしっかりと手渡します。

     

    それは自分に託された「郵便配達人」の使命だから。

    受け取る人の絶望と悲劇。届ける者の苦悩。

     

    読み手の胸にひた寄せる悲しみの波。切り込まれる痛みのなんと深いことでしょう。

    やがて戦争終結。

    ロシア(旧ソ連軍)の軍車が地響きを立てて入ってきます。

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    逃げ出す者。死を選ぶ者。村から人々の姿が消えていきます。

    郵便局も閉鎖されます。

    いつかまた配達人になれる日がくるだろうか。

    平和を夢見てヨハンは村に残ります。

    そして衝撃的なラスト。

    声になりません。何という不条理。それが現実です。しばらくは立ち上がれずに頰を濡らしていました。

     

    戦争の主導者への反逆を声に出せば死刑です。ヨハンは声に出せず呟くのみです。言論も、思想も、個人の自由は封じられます。

    教育も変わります。学校、図書館の書棚はドイツの本だけになり、

    他国の物は姿を消します。そう、日本も似ていますね。

    暮らしの全てが統制されるのです。

     

    失って初めて、普通の暮らしがどんなに大切なものだったかを、人々は知ります。

     

    描かれる、ドイツの四季折々の花や草や樹々への、作者の眼差しは優しく、実に美しく描写されています。

    作者グードルン・パウゼヴァングは、ドイツの村々を愛し、姿の変わり行くのを悲しんだのではないでしょうか?

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    これは戦時下のドイツの物語です。ヒトラーの独裁下にあった敗戦國です。日本も同じ敗戦国です。作者は日本の人たちにも強いメッセージを送っています。

     

    私は解説を書くのではありません。

    ドイツと同じ過去を持つ日本のことも書きたいのです。

    もう、飽きました?でも、もう少しね。

     

    今、私たちの目の前にある光景が普通の暮らしですね。もしそれが全く変わってしまったら?

    不足する電力、街じゅうが暗くなります。

    コンビニもスーパーもデパートも、棚には何も並んでいない。空っぽです。おしゃれなショップから服も靴も何も姿を消し」、カラフルな色は消えていきます。

     

    グルメだの、スイーツだのなんて言っていられません、そうです

    口にするもの一切が消えてしまう。

    食べるものがない状態になります。

     

    想像できますか?

     

    S Fではありません、戦争末期の日本の現実の姿です。

     

    私の体験で悲しかったことは、思想も感性さえも封じられてしまう

    ということ。美しい抒情画が、時代に添わない、ということで、世間から消えてしまった事実。許せませんよね。

     

    ながいこと、そういう絵を知らずにいて、戦後初めて目にした時

    世の中にこんな美しいものがあったのか、と、身体に電流が走った記憶があります。

    戦争とは様々な形で物事を歪めてしまうのだと知りました。

     

    グードルン.パウゼヴァンは、後書きでとくに日本の人々に、そして戦争を知る者へ、知らない世代にそれを語り継ぐべきだ。と、強く訴えています。

    時間が経ちすぎていますが、本をお送りいただいた、みすず書房

    そして、成相雅子さま。ありがとうございました。

  • モネの睡蓮(4)

    なぜこうも惹かれるのか?絵の抱く抒情故だろうか?

    私自身、昔から抒情的なものが好きだった。

     

    戦後、上野美術館に初めて外国の名画展が開催され本物の絵画に触れた。10代のとき。(戦時下では外国の物、美術も、文学も、言葉さえ、全て封じられ、禁じられた)

     

    会場の中程で、動けなくなってしまった一枚の絵があった。

    まさに魂を吸い寄せられた、という状態だった。
    それは大きな風景画でコローという名を記憶した。
    絵のことはなにも知らなかった。ドガも、セザンヌも、ゴッホも、ルノアールも、画集なども目にさえ触れることがなかったのだ。

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    のちに、その風景画は抒情詩的な情緒性を感じさせ、印象派に影響を与えたバルビゾン派の画家。

    ジャン=パティスト・カミユ・コローと知った。

    私にとって同じく心の琴線に触れるなにか、モネも共通するところがあるのかもしれない。    (終)

  • モネの睡蓮(3)

    昨年、無理な時間を割いてまた此処を訪れたのはその永遠の静寂に身を置きたかったから。

     

    モネはこう書き遺している。

     

    「仕事に疲れきった神経は、そこで淀んだ水に佇む風景に癒されるであろう。そしてこの部屋はここで過ごす者にとって花咲く水槽の真ん中で、安らかな瞑想を行うための隠れ家となるであろう」

     

    1914年〜1918年に及んだ戦争の翌日フランスに「睡蓮」を寄贈することによって、モネはパリの人々に瞑想へと誘う安らぎの場を提供したかったのだという。

    街の喧騒との隔たりの場として此処を創りたかったようだ。

     

    やはり、そこは確かな安息の場であり、浮世から隔絶された空間なのである。

     

    機会があればまた訪れたい場ではある。    (続)

     

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  • モネの睡蓮(2)

    「睡蓮の部屋」は2室に別れ、壁面8枚、全て水と睡蓮が描かれている。

    その音なき壮大さに圧倒され、心を奪われる。巡る池の中に立ち、あるいは座し、空間に溶け込む観客たち。シンと鎮まり咳き(しわぶき)ひとつない。

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    明けやらぬ東の暗渠から西へ、黎明、陽明、夕陽、

    宵闇と、水は色を変え、おびただしい睡蓮の花を浮かべる。そこには高低や遠近はない。

     

    「水平線も、岸辺もなく、波紋によって果てしないすべての幻想」を、モネは表現したといわれる。

     

    広い室内をぐるりと取り囲んだ花々はリズムを創り、空気や空の存在を意識させ、人々は果てしない睡蓮の世界に吸い寄せられてしまう。抒情とシュール、その描き出すものは神秘の空間。無になって瞑想する時間は禅の世界と重なりはしないだろうか。 (続く)

  • モネの睡蓮(1)

    新しくできた池袋サンシャインの屋上に「モネの睡蓮の池」が造られたという。これは是非、是非、行ってみたい。

     

    そこで先月 北青山チャンネルでお喋りしそこなった「モネの睡蓮」。ブログに書くといって止まってしまっていたお話を書いてみようと思い立った。

     

    昨年暮れ、美術展出展のため、パリ行きが決まったとき、その魅力の場所に、スケジュール的にかなり無理でも行くと頑張ったのは、小橋めぐみさんの「恋読」という読書エッセイにモネのことが触れてあって、刺激されたのかもしれない。

     

    何度目だろう。訪れたお気に入りの場所、クロード・モネの館「オランジュリー美術館」。そう、初めて訪れたのは随分と昔。その鮮烈な記憶から記してみたいと思う。

     

    リュクサンブール公園を抜けると小高い森の中にこじんまりした美術館がある。

    下調べも無しに、ただあの絵の実物が観たくて立ち寄ったオランジュリー。

    初めてモネの部屋の入り口に立った時、美術書で見た一枚の絵による、私の常識的な想像は一挙にひっくり返ってしまった。

    額が無い!絵の展示の額がない!

     

    壁画だった!しかも、四面の壁はどこまでも絵であった。床も壁面も装飾なく、白っぽい長い楕円の室内は、丸ごと全部、睡蓮だった。

    一瞬、息を吸うことすら忘れていた。     (続く)

     

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  • ちばてつや先生のアニメ「風のように」

    昨日、協会事務所で、ちばてつや先生のアニメ

    「風のように」を観ました。見終わって、ずーっと余韻に浸りました。

    ちばちゃん、素敵だったよ、わ~!パチパチ