だいぶ以前のことです。
一冊の本が送られてきました。「片手の郵便配達人」(みすず書房)です。

すぐにツイッターでと、文を書き始めました。
一回の文字数制限のため、書き溜めて連続で出そうと思ったのですが、スマホを新しくして扱えず、パソコンの調子も悪く、作業が止まってしまい、ながいことそのままになりました。
いま、やっぱりこれは記しておこうとおもいました。
いえ、そうするべきだと思いました。
そうしなければいけないと、思います。
戦争をしらない若いかたたちへ。
炸裂する爆弾、銃砲、流血、死、恐怖の情景です。
今、平和しか知らない人たちの戦争のイメージとは、そういう世界ではないかと思います。
この「片手の郵便配達人」はごく普通の人々の日常が崩壊していく悲しみを訴えています。
戦時下のドイツ。負傷で左手を失った心優しい少年ヨハンは、故郷で郵便配達人となり働きます。ハンデの身に重いカバンを肩にかけ、ひたすら村々を歩き続ける毎日。

なだらかに広がる丘、うねうねと続く村道、点在する家々、畔道の若草のそよぎ。一面の花咲く丘。
描写は美しい一枚の絵のようです。

巡り来る季節。
自然は過酷な姿も見せます。灼熱の真夏の道。吹き荒れる風。
凍える吹雪の中も、ヨハンは歩き続けます。
村の人々はヨハンを見ると飛び出してきます。皆、戦線の肉親からの便りを、待ち焦がれているのです。

ヨハンは、人々の心の架け橋でもあるのです。
しかし、時には不幸も運びます。
「黒い手紙」と呼ばれている手紙です。
死の通告です。

ヨハンの前でなきくずれる村人。
できることなら握り潰したい。ヨハンは苦しみます。
それでも残った片手でしっかりと手渡します。
それは自分に託された「郵便配達人」の使命だから。
受け取る人の絶望と悲劇。届ける者の苦悩。
読み手の胸にひた寄せる悲しみの波。切り込まれる痛みのなんと深いことでしょう。
やがて戦争終結。
ロシア(旧ソ連軍)の軍車が地響きを立てて入ってきます。

逃げ出す者。死を選ぶ者。村から人々の姿が消えていきます。
郵便局も閉鎖されます。
いつかまた配達人になれる日がくるだろうか。
平和を夢見てヨハンは村に残ります。
そして衝撃的なラスト。
声になりません。何という不条理。それが現実です。しばらくは立ち上がれずに頰を濡らしていました。
戦争の主導者への反逆を声に出せば死刑です。ヨハンは声に出せず呟くのみです。言論も、思想も、個人の自由は封じられます。
教育も変わります。学校、図書館の書棚はドイツの本だけになり、
他国の物は姿を消します。そう、日本も似ていますね。
暮らしの全てが統制されるのです。
失って初めて、普通の暮らしがどんなに大切なものだったかを、人々は知ります。
描かれる、ドイツの四季折々の花や草や樹々への、作者の眼差しは優しく、実に美しく描写されています。
作者グードルン・パウゼヴァングは、ドイツの村々を愛し、姿の変わり行くのを悲しんだのではないでしょうか?

これは戦時下のドイツの物語です。ヒトラーの独裁下にあった敗戦國です。日本も同じ敗戦国です。作者は日本の人たちにも強いメッセージを送っています。
私は解説を書くのではありません。
ドイツと同じ過去を持つ日本のことも書きたいのです。
もう、飽きました?でも、もう少しね。
今、私たちの目の前にある光景が普通の暮らしですね。もしそれが全く変わってしまったら?
不足する電力、街じゅうが暗くなります。
コンビニもスーパーもデパートも、棚には何も並んでいない。空っぽです。おしゃれなショップから服も靴も何も姿を消し」、カラフルな色は消えていきます。
グルメだの、スイーツだのなんて言っていられません、そうです
口にするもの一切が消えてしまう。
食べるものがない状態になります。
想像できますか?
S Fではありません、戦争末期の日本の現実の姿です。
私の体験で悲しかったことは、思想も感性さえも封じられてしまう
ということ。美しい抒情画が、時代に添わない、ということで、世間から消えてしまった事実。許せませんよね。
ながいこと、そういう絵を知らずにいて、戦後初めて目にした時
世の中にこんな美しいものがあったのか、と、身体に電流が走った記憶があります。
戦争とは様々な形で物事を歪めてしまうのだと知りました。
グードルン.パウゼヴァンは、後書きでとくに日本の人々に、そして戦争を知る者へ、知らない世代にそれを語り継ぐべきだ。と、強く訴えています。
時間が経ちすぎていますが、本をお送りいただいた、みすず書房
そして、成相雅子さま。ありがとうございました。